BEAT20周年 DRUM30周年
1991年5月13日に発表されたHONDA BEATを衝動買いして早20年経過。
当時はバブルだったし、人気もあってか納車されたのは夏だったけれど、
購入確定から20年経過して車検を通すとは…。もちろん何の迷いもなく…
と言いたいところだけれど、車検代の捻出が困難で少し悩んだ事実(汗)。
以下の写真(!)は1995年に山陰に遊びに行った頃の懐かし過ぎる銀BE。
まだ活発にバンド活動をしている頃で自宅でも宅録などして遊んでいた頃。
BEAT購入後は自作した曲を良い音質で楽しみたいという欲求が出てきて、
社外品のオーディオ装着作業を開始して終わらない旅の始まりに…(笑)。
社外品装着が出来ない仕様だったので、何もかも全て自作する事を決め、
構造部品自体を改造したみたり、とにかく無理矢理に何もかも収める作業。
リニューアルを繰り返して偉く凄い時間を掛けて面倒な作業をし続けていた。
その頃の僕は取り憑かれたかの様に音質や画質に拘りまくっていたので、
音質に有利とされる事はありとあらゆる事をやって自己満足度を上げた。
例えば構造部品等を銅メッキしたり、銅でスピーカーステーを製作等々…。
ナビ用SONYトリニトロン管も埋め込んで「ブラウン管良いねー♪」とか(笑)。
オーディオ作業が一段落すると今度はBEAT自体の改造にハマってしまい、
外装や内装などあらゆる改造作業を始めてしまった。最早宅録遊びさえも
しなくなってバンドは自然消滅。中学生の頃から続けていた音楽活動休止。
BEATの改造作業は留まる事を知らず、外装パーツもFRP等で作る様に…。

余り目立つ事が好きではなくて地味な銀BEを選択したけれど結局全塗装。
病気を機にやりたい事は遠慮しない考えに変わり、当時は珍しいソリッドな
ブルーにして貰った(黄色の色素が足りない青色のアマガエルをイメージ)。
スプラッシュブルーと名付けた。もちろん、スプラッシュシンバルも意識(笑)。
気が付けば熱帯の鳥とか魚などの様にド派手な青BEになってしまったので、
町を走れば子供や女の子に指を差されて笑われるという何とも微妙な感じ。
派手な物や事が好きでも僕自身は目立ちたくないというジレンマも抱えた…。
それを音楽活動に引き戻してくれたのがPEVO2号(molekul)。簡単に記すと
BEAT繋がりで知り合ったのだけれど、そこで初めてShampooの存在を知り、
PEVO2号参加のM/Sというユニットにドラマーとして誘われたのがキッカケで
PEVO1号と知り合った。PEVO2号からはAbleton Live 5を教えて貰ったので、
TASCAM 238でテープ録音だった環境が一気にPC録音になる劇的な変化!
その後はARS Cafesというユニットに参加して電子ドラムを叩く機会も増えた。
ARS Cafesには1984年1月19日作曲の楽曲【Suzume No Oyado】を提供(笑)。
※MySpaceからSoundCloudに音源を移行 (2012/03/08)
PEVO3号とも知り合い、PEVO5号として参加させて貰った上に再び楽曲提供。
曲作りなんて適当にやれば良いかと続けてきた事なのでコンセプトありきには
戸惑ったけれど皆に何とかして貰った。ライブハウスに出演する感覚も戻った。

そして、今回のバチバチソニック。これはPEVO1号のソロプロジェクトなので、
ドラムに徹するのみ!ドラムに集中出来るので真面目に不真面目が出来る。
メンバーも熱い人達なので、僕もドラムを叩いていると何だか燃える感じ(熱)。
PEVO1号の曲は速い曲が多いのでカッチリ叩くのが難しいけれど気合いで!
さらに!Shampooのレコーディングに参加させて貰った!これは嬉しかった!
今までShampooには何度かアピールをしてきたけれど毎回フられていた(笑)。
ところが後押しがあって生ドラムで4曲(うち1曲はブラシワークのみ)も参加!
ライブのオケで自分のドラムを聴くのはサイモンガーさん以来なので楽しみ!
…というワケで、ナンダカンダ少しだけ適当に歴史?を振り返ってみたけれど、
中学生でシンセを弾き初め、シンセドラムにもハマり、生ドラムも叩き始めて、
気が付けば30年もドラムをやっているんだ…と感慨深いというか何というか…。
BEATに乗り始めて20年。DRUMを叩き始めて30年。まだまだ遊ぶ。遊ぶぞー。
| 固定リンク
| トラックバック (0)